6月14日サイコロ茶会を終えて

Chatoki茶時



京都・哲学の道ちかくにある左右の2階にて6月14日に、3回目となる
サイコロ茶会「雨あがる」を開催しました。

Zoomを使ってのオンライン茶会は前﨑信也氏(京都女子大学准教授)、
中山福太朗氏(茶人)、佃梓央氏(煎茶家 一茶庵宗家嫡承)の3人が
亭主役の語り手となりました。

長い歴史を積み重ねてきた茶道具をどう切り取ってお話してくださるのか、
私たちにとってそこが楽しみですが、分野の異なる3人にとっては
まさに真剣勝負の道場のよう。
サイコロを振って、その出目によって語り手が決まる瞬間は、緊張した
空気に包まれますが、その後はそれぞれの世界観が繰り広げられました。
あっという間の2時間、この中で特に“写し”と“茶杓”のお話にフォーカス
してみます。

まず写しについて。
チャットで「写しと真似はどう違うのですか?」というご質問を受けました。
写しのなかには、もとのモノと同じように写すこともあれば、佃氏曰く、
元々の形や考えを真似て、そこからもっと変形させたり、表現意図を強く
したりして、こちらの思いをより多く入れていくということもあるそうです。

佃氏の持ってこられた見込みに筍が描かれた茶碗は、中国1600年頃焼かれた
古染付の写しに筍というアレンジを加えたもの。
本物に敬意をこめて、遊び心で作品を写す。それを見ると、なるほど!と
大きく頷けます。

一方、前﨑氏は同じ土俵(同じ分野)の上で戦って、一番上手い人が一番偉い
という考え方が写しにはある、と話します。そして、自分がつくったという
証に名前を書くそうです。
もとの作品と比較されることを承知の上で写しをつくるというのは、相当の
覚悟と自信が必要で、写した人が自分の名前を書くことは、つくったものに
対して何を言われても責任を持つということ。
考えてみれば真似とはちがう、厳しくコワイ世界であると同時に、切磋琢磨に
よって腕を磨く絶好の舞台でもあったのでしょう。

写しは、日本の文化の重要な要素。
「今の教育はオリジナルであることを重視します。写しをやってはいけない
ことのように思いすぎてしまうと、せっかく自分たちがもっている文化を
縛ってしまう」と話す前﨑氏。改めてモノの見方が変わったお話でした。

次に中山氏の茶杓のお話。
茶杓というのは作家性がなく不思議な立ち位置で、お茶をするプレーヤーが
身近な材料で美しさを備えた竹で作ってきた歴史があると語ります。
そこで新しい材料を探したときに、見つけたのがビニール傘の骨。
その骨でつくった茶杓。
容易に捨てられてしまうものの中から材料として魅力的になるものを見出す
チカラ。生活の中で、自分は何を美しいと感じ、何を発見するのか。そして、
自分が美しいと思ったものを恐れずに客に差し出す。
そう思うと、茶会やお稽古の時だけが茶の湯ではなく、暮らしの中に茶の湯が
存在するという感覚がストンとおりてきたお話でした。

 
ご紹介した内容はほんの一部ですが、喫茶を通していろんな考え方や歴史、
時代を客観的に見られる機会に触れることができました。
また次回も開催いたしますので、ご興味のある方は是非、ご参加いただけると
嬉しく存じます。

お道具をひとつ取り上げたお話の内容は、Youtubeでご覧いただけます。

【Youtube動画】
前﨑 信也氏(京都女子大学准教授)


佃  梓央氏(煎茶家 一茶庵宗家嫡承)


中山 福太朗氏(茶人)

若王子倶楽部 左右KOGEI GALLERY & SALON IN KYOTO
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