審査員からのメッセージ

Activity in Japan日本での活動



『現代の工芸における「付加価値」について』
京都女子大学 前﨑 信也

ものづくりに関わる方々からよく聞く言葉に「作品にどうやって
付加価値を付けるか」というものがあります。例えば、ただお茶を
点てるための碗であれば、ボウル型をしていて液体がそこに溜まればいい。
あまたあるお茶碗の中で、お客様に買っていただくものにするためには、
他の茶碗とは異なる、何か優れた独自性が必要ということでしょう。
しかし、現実的に考えてみると、お茶の道具に対して、具体的に加える
ことのできる新たな価値なんて、すでにこの世界にはほぼ存在しません。

現代人の生活を見ればわかることです。我々は使う人のことを徹底的に
考え抜かれた素晴らしいものに囲まれています。新品なのに映りが悪い
テレビや、冷えにくい冷蔵庫はありません。一番安い製品でも必要な
機能はきちんと備えているものです。

平成の前半くらいまでの多くの人にとって、新しいモノを所有するという
ことは、人生の質を向上させるためにすることでした。洗濯機、掃除機、
トイレやお風呂は、新製品が出るたびに、それを買った人の生活が確実に
便利になるものでした。あの頃と比べると、我々の生活というのは、これ
以上新しい機能がついた製品が発表されたところで、劇的に良くなることは
期待できないレベルまで上がってしまいました。生活を改善するという意味
では、我々の技術は行きつくところまで到達してしまったと言えるかも
しれません。

このお話は、お茶にまつわる道具でも同じことが言えます。いや、事態は
さらに深刻です。長い間、お茶の道具についての「付加価値」とは新しい
技術・技法のことを指しました。その人しか出せない色があるなど、何かの
技術で日本一とされれば、それはきちんと評価されて販売にもつながり
ました。
でも悲しいことに、我々は優秀な工芸家が何百年間も新しくて質の高いものを
追い求めた結果の先に生きています。令和の時代とは、全てのものの技術
レベルが上がりすぎて、何が良くて何が悪いのかがよく分からない世界だとも
言えるでしょう。

作り手にとってこんな悩ましい時代に「新たな才能を発掘する」ことを目的と
するこの公募展が、作品の技術力だけを比べるわけにはいきません。そこで
我々は、作り手が使い手と対話するという方法をとりました。第一次審査の
場で応募者の皆様の出品作についてのアイデアを聞いて、審査員は「もっと
こうしたら使いたくなるのに!」を素直にお伝えしました。すると、最終審査
会場に並んだ作品のどれもが「そうです!そういうことなんです!」と言い
たくなるものばかりでした。

今回の審査方法の目的はもちろん「審査員の思い通りのものを作らせる」と
いうことではありません。そうではなく、応募して下さった皆さんに、新たな
体験をしていただくことでした。作品を構想する段階で、自分が作りたいと
思い描いている作品を、日常的に茶道具を使っている茶人はどう見るのか。
それを少し知るだけで、作品の作り方や説明の仕方に変化が生まれたのでは
ないでしょうか。

現代に生み出される新しいお茶の道具の価値とは技術の優劣ではありません。
制作者が一方的な想いをぶつけることでもありません。それは、作品に関わる
全ての人が、見たり触れたりすることで、様々な想像をふくらませた先にあり
ます。そう信じる私を含めたティーエレメント展の主催者一同は、今回の
公募展の選考方法は大成功だったと確信しています。第3回もこれまで同様、
主催者・応募者全員がポジティブな体験となるよう努力を続けます。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。

*

『言葉のウソ』 煎茶家・一茶庵宗家嫡承 佃 梓央

ティー・エレメント公募展の審査は、今回も、「言葉」と「制作物」と、両方
合わせて1つの「作品」と考えて審査しています。
私自身、今回の審査で何よりも驚愕したのは、みなさまの「言葉」が、昨年に
比べて見違えるほどに「上手く」なっていることでした。これは皆様方の勉強
の賜物かと存じます。

今、工芸に限らず、広くアートの世界で活躍するアーティストには「制作物を
言葉とともに提示すること」が求められており、そのことを切に感じながら
お書きになった言葉が本当によく伝わって参りました。

しかし、今回の公募展で次回への課題として浮かび上がってきたのも「言葉」
に関わることでした。「制作物」そのものに対して「言葉」が嘘をついている
のではないか、「制作物」と「言葉」とが乖離しはじめ「言葉」が先走りして
いるのではないか、と。例えば「侘び(わび)」という言葉、表層的な
Wikipedia的知識でいくらでも使えてしまいます。
「言葉」が本当にその「制作物」から沸々と湧き上がって来て紡ぎだされて
いるのか、今一度、「制作物」と「言葉」との関係を見直し、もう一度言葉を
綴っていただきたいと思います。

私は「煎茶」の「茶席」を設える人間です。私の仕事は「作品」として
出来上がった「モノ」と「ストーリー」とを再度分解し、改めて「モノ」と
対話し、茶席で取り合わせる別のモノ(道具)との関係を繋ぎ、総合体として
の「モノガタリ」へと編集し直していきます。作品制作をされる皆様と、
編集作業をする私と、切磋琢磨していきたいですね、どうぞ宜しくお願い
致します。

*

『「おいしい」を開拓する道具』 茶人・会社員 中山福太朗

一次審査をzoomでのオンライン形式に変えたこともあってか、前回よりも
応募点数こそ少なくなったものの、完成度の高い作品のご応募を頂いたと
思います。

第一回は、30cm立法に収まる茶の時間を楽しむ道具、という無差別級の
作品応募要項はどう働くのか未知数でしたが、第二回である今回は、
茶室の応募なども あり、このルールは非常に面白く働きました。

茶の湯って何をするもの?と問われたら、それは『おいしいお茶を差し
上げるも の』という答えに異論はないと思います。ただ、その『おいしい』
に至るルートは様々存在して、このルートを通るとおいしくなるよ、という
経路を長く研究、 開拓してきたものが、各流儀の作法や道具の形です。
茶の道具は、おいしいを作るための一要素です。
時代時代で、その時の人々の『おいしい』を開拓するような道具たちが
増えること、それは時代の豊かさと言っていいのだと思います。
例えば茶道の中で良しとされる道具は、勉強する上では非常に大切です。
茶の道具が作られ始めてから、人間の姿形はほとんど変わっていないので、
体への効果という部分では、伝統文化に圧倒的な智慧の集積があります。
しかし、彼らの「いい」は私の「いい」とは無関係です。そして、どちらに
価値があるかといえば、今あなたがいいと思うことに圧倒的な価値があり
ます。

私は今、生きている私たちがおいしいための道具を見てみたいし、使って
いきた いと思っています。そんな道具を作る方たちと出会えたら、それは
本当に幸せなことです。
今回も力のある作品と出会えて嬉しかったです。ご応募頂いた皆さま、
本当にありがとうございました。

若王子倶楽部 左右KOGEI GALLERY & SALON IN KYOTO
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